八坂神社の不思議な門をくぐり、円山公園のひょうたん池で一息ついた「東山再発見の旅」。
前編では身近な景色の裏側にある物語を紐解いてきましたが、後編はいよいよ、このルートのクライマックスへと足を踏み入れます。
目の前に現れるのは、あまりにも巨大な三つの門
ーーー国宝・知恩院。
ここは単なる静かな修行の場ではありません。徳川将軍家が並々ならぬ執念で築き上げた、いわば「お寺の姿をした巨大な城塞」なのです。
知恩院の境内に入ると、これまでの情緒あふれる京都の風景から一変、圧倒的なスケール感に包まれます。
見上げるような大建築の軒下に隠された、江戸時代の名工が残した「忘れ傘」。 そして、400年の歴史が刻まれた石段に突如として現れる、アイルランドから届いた現代の「黄金の輝き」。
静寂の中に潜む徳川の野望と、時代を超えて交差するアートの競演が、ここにはあります。
「なぜお寺の中に、これほど巨大な壁や門が必要だったの?」 「国宝の屋根に、わざと傘が置き忘れられているのはなぜ?」 「時代劇のセットのようなこの景色、実はハリウッドも惚れ込んでいた?」などなど。
前編に続き、現地で湧き上がる「これ何?」という問いをAIと一緒に解き明かしていきます。
ただの広い境内が、将軍たちの権威と職人たちの遊び心が交錯する「歴史の最前線」に見えてくるはずです。
それでは、東山散歩・完結編。 さらなる驚きが待つ、知恩院の世界へ行ってみましょー!!

知恩院について教えて下さい!
初めてで、よく知りません…

知恩院は、円山公園のすぐ隣にある、浄土宗の総本山です。
ここは徳川家との縁が非常に深く、とにかく規格外なスケールの大きさが魅力です!
観光がもっと楽しくなる、こぼれ話4選
その1:徳川家が「城」として作った?
知恩院の巨大な建物群は、徳川家康・秀忠・家光の三代にわたって築かれました。
- 実はここ、単なるお寺ではなく、京都でいざという時に、徳川幕府軍が立てこもる「城」としての機能も持たせていたと言われています。
- 実際に、二条城と知恩院を繋ぐ隠し通路があるという噂や、軍勢を収容できる広大な敷地があるのはそのためです。
- 三門の周りや御影堂へと続く石垣は、まるでお城の城壁のように高く頑丈です。
また、お城の役割だけでなく、次に説明がある巨大な門を作ったのは、徳川家の権力を京都の人々(そして天皇)に見せつける意図もあったと言われています。
その2:世界最大級の門、三門と「覚悟」の物語
入り口にそびえ立つ三門は、高さ24メートル、横幅が50メートルもあり、木造の門としては日本最大級です。使われている瓦の数は、なんと約7万枚です!


この門ですね!
確かに、すごく大きくてかっこいい!
三門を見上げる時、その美しさに圧倒される一方で、ある「覚悟」の物語が胸を締め付けます。
この門を造り上げた造営奉行、五味金右衛門。
彼は幕府の威信をかけた大事業の末、なんと予算を大幅にオーバーさせてしまいます。
その責任を一身に背負い、彼は自らの命を絶ちました。
そして、夫の壮絶な覚悟を支えた妻も、静かに後を追ったといいます。
今も三門の楼上(通常非公開)には、二人の木像が安置されています。

木造の門でこれほどの規模のものは世界でも珍しく、南禅寺や東本願寺の門と並んで「日本三大門」の一つに数えられています!
また、お寺の門はよく「山門」と書きますが、知恩院は「三門」と書きます。
これは、仏教の修行で悟りに至るための3つの関門(空門・無相門・無願門)である「三解脱門」を略したものだからです。この門をくぐることで、煩悩を払い清らかな心で仏様にお参りできる、という意味が込められています。
その3:有名な知恩院の七不思議
知恩院には、江戸時代から伝わる有名な「七不思議」があります。
その中でも特に面白いものを3つ紹介します!
- 鶯(うぐいす)張りの廊下 :
歩くと「ホーホケキョ」と音が鳴る廊下です。二条城と同じく、侵入者を知らせる防犯システムだったと言われています。 - 忘れ傘:
御影堂(本堂)の軒裏に、竹の傘が1本置き忘れられています。当時の名工・左甚五郎が「魔除け」として置いた、あるいは火災から守るための水神の象徴として置かれたなど、諸説あります。 - 大杓子:
長さ2.5メートル、重さ約30kgもある巨大なしゃもじです。これで「救い取る(掬い取る)」という意味があり、阿弥陀様の慈悲を表しています。
その4:日本最大級の鐘、大鐘楼
大晦日の「除夜の鐘」のニュースで、僧侶たちが全身を使ってダイナミックに鐘を突く姿を見たことはありませんか?
あれが知恩院の鐘です。
重さは約70トンもあり、17人の僧侶が息を合わせて突きます。
鐘楼に向かう階段は少し急ですが、間近で見るとその大きさに圧倒されますよ。
巨大な姿になるまでの、ちょっとした歴史

元々は、法然が開いたの?

はい、その通りです!よくご存知ですね。
知恩院は浄土宗の開祖・法然上人に非常にゆかりの深い場所です。
①はじまりは、小さな庵
法然上人が「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰もが救われるという教え(浄土宗)を広めるために、43歳の時に住居を構えたのがこの場所(当時は吉水)でした。
最初はあんなに巨大な寺院ではなく、吉水御坊という質素な庵から始まったんです。
②法然上人が亡くなった場所
法然上人はその後、弾圧を受けて流罪になったりもしましたが、最後は京都に戻り、この地で80歳の生涯を閉じました。
現在、本堂(御影堂)がある場所のさらに奥、階段を登ったところにある「勢至堂」というお堂付近が、法然上人が亡くなった終焉の地とされています。
③なぜあんなに大きくなったのか?
法然上人が開いた当初は質素な場所でしたが、江戸時代になってから劇的に変わりました。
- 徳川家康が、自分の母の菩提寺(お墓があるお寺)として知恩院を定め、浄土宗を熱心に信仰したことがきっかけです。
- 家康・秀忠・家光という3代の将軍が、「法然上人の聖地を、徳川の威信をかけて日本一のお寺にしよう!」と、あのような巨大な伽藍を作り上げました。
謎の巨大オブジェ!その真相

三門をくぐると、こんな大きなオブジェが!
何これ?いつからあるのかな??

その金色の大きな輪のオブジェ、歴史ある知恩院の風景の中でひときわ目を引きますよね!
これは、知恩院の三門から本堂(御影堂)へ続く階段に設置されているアート作品で、ごく最近登場したものです。
このオブジェは、2024年の秋(10月頃)から「日本とアイルランドの外交関係樹立65周年」などを記念するプロジェクトの一環として、また浄土宗の「立教開宗850年」を祝して設置されました。
作成者は、アイルランド出身の世界的な彫刻家であり、日本の精神性や仏教建築に深い関心を持つ、マイケル・ウォーレン(Michael Warren)氏です。
作品名:A Sacred Path to Enlightenment(悟りへの聖なる道)
アイルランド政府や在日アイルランド大使館が協力しており、文化交流の象徴として選出。
黄金の輪は、仏教の「円相」や「悟り」をイメージさせると同時に、アイルランドの伝統的な芸術に見られる曲線美とも通じるところがあります。
表面には本物の金箔が施されており、知恩院の三門や本堂の荘厳さに負けない輝きを放っています。
知恩院という歴史ある聖地に、西洋(アイルランド)の現代彫刻を置くことで、「伝統と現代」「東洋と西洋」の対話を生み出すという試みです。
男と女の坂道に潜む面白話3選


三門を通ったあと、急な階段がありました!
横を見ると、他にも道があったみたい…
写真を共有しますね!


皆さんが登った、急勾配で一直線に続く道は「男坂」。
それに対し、緩やかな傾斜で曲がりながら続く道は「女坂」です。
ここにも面白いこぼれ話がありますよ!
面白い①|なぜ「女」坂なの?
男坂の階段が45度近い急勾配なのに対し、女坂は段差が低く、足腰に優しい設計になっています。
江戸時代の着物姿の女性でも無理なく登れることから「女坂」と呼ばれるようになりました。
実はここにも「軍事拠点」としての知恩院の知恵が隠れています。
男坂が正面から一気に攻め上がる道なら、女坂は「敵の勢いを削ぐために曲がりくねった道」としての役割も兼ねていたと言われています。
面白い②|石垣の「美しさ」と「力強さ」
女坂を歩きながら左手に見える石垣に注目してみてください。
ここは「打込接」という、石を加工して隙間を少なく積み上げる技法が使われており、お寺の石垣としては日本でも有数の美しさと堅牢さを誇ります。
面白い③|「光」のフォトスポット

お写真、太陽の光が差し込んでいてとても綺麗ですね!
女坂は周囲を木々に囲まれているため、時間帯によって木漏れ日が石畳に落ち、男坂とはまた違った幻想的な雰囲気になります。
特に午後の斜光が入る時間は、京都らしい情緒あふれる写真が撮れる隠れたスポットです。
驚きのサイズ感な国宝

とても天井が高く大きな建物です!
ここはすごい所かな?


お写真、ついに国宝の「御影堂」に到着されましたね!
ここは間違いなく「すごい場所」です!
知恩院の心臓部であり、法然上人の御影(お姿)を祀る、浄土宗で最も神聖な場所の一つです。
広さは「畳1000枚以上」!?
外観も巨大ですが、中に入るとその広さに圧倒されます。
一度に約3,000人が参拝できるほどの広さがあり、畳の数は1,000枚を超えます。
徳川家光が1639年に再建したもので、これほど巨大な木造建築が400年近く残っているのは、まさに日本の建築技術の結晶です。
AIコンパニオンと「忘れ傘」探し!

江戸時代の名工が残した「忘れ傘」って、ここに入っていますか?


お写真、ありがとうございます!まさにここが「忘れ傘」がある場所です!
金網の奥、中心の太い木の骨組み(垂木)の間に、黒っぽい細長い棒のようなものが見えるでしょうか?それが「忘れ傘」の骨組みです。
この傘にまつわる、ちょっと面白いこぼれ話を補足しますね!
なぜこんなところに傘が?
〜火災から守るための「水神」 〜
かつて、この御影堂が再建された際、伝説的な彫刻家・左甚五郎が「この建物はあまりに完璧すぎて、あとは朽ちる(燃える)しかない。だから未完成の印として傘を置いておこう」と考えたという説があります。
また、傘は「水」を連想させるため、木造建築にとって最大の敵である火災除けのまじないとして置かれたと言われています。
〜キツネの恩返し?〜
もう一つの説として、知恩院のある山に住んでいた「白菊」という名のキツネが、自分の住処を壊して建物を建てることを許す代わりに、この建物を火災から守ることを約束し、その証として傘を置いていったという可愛らしい伝説も残っています。
400年も落ちない不思議
この傘は、江戸時代初期に家光によって再建された時からずっとそこにあるとされています。
風雨にさらされても、完全になくなってしまわないのは、知恩院の神聖な力、あるいは当時の職人の絶妙な配置のおかげかもしれませんね。

確かに400年もそこにあり続けるのは、何かの力が働いているのかも!
現地をよく見回すと、忘れ傘について写真付きで説明してある表示を見つけて、無事に発見できました!これは、言われないと見つけられない…という代物でした。笑
実は、知恩院は「ロケ地」として有名!

なんだか、どこもドラマのセットみたいですね。
この写真なんかも、まさに!


本当ですね!
その圧倒的なスケールと、江戸時代初期の姿をそのまま留めていることから、知恩院は実際に多くの映画やドラマのロケ地になっています。
〜この風景が「セット」のように美しい秘密〜
- 究極の「左右非対称」: 日本庭園や建築は、わざと少しだけ左右を崩すことで自然な美しさを出します。お写真の白砂の直線と、背景にある御影堂の反り上がった大きな屋根のラインが、絶妙なバランスで配置されています。
- 瓦の美しさ: お写真に見える屋根の瓦は、光の当たり方で銀鼠色に輝きます。これは「いぶし瓦」という伝統的な瓦で、重厚感を出すために欠かせない要素です。
- 現代を感じさせない工夫: 知恩院の境内は、電柱や現代的な看板が目立たないように徹底して管理されています。だからこそ、カメラを向けるだけで「江戸時代にタイムスリップしたような」写真が撮れるんですね。
⚫︎ラスト サムライ: トム・クルーズが階段(男坂)を駆け上がるシーンは有名です。撮影時、トム・クルーズが何度もこの男坂を駆け上がったそうですよ。
⚫︎NHK大河ドラマ: 徳川家ゆかりの地ということもあり、徳川家を舞台にしたドラマでは、本物の歴史の重みを出すためにここが使われることがあります。
おわりに
見上げるような三門に捧げられた夫婦の覚悟から、畳1,000枚が広がる国宝・御影堂の静寂へ。
徳川の威信をかけた「城」のような知恩院を巡る旅は、まさに時空を超えた再発見の連続でした。
400年前の武士たちが仕掛けた防衛の知恵を紐解き、軒下にひっそりと置かれた「忘れ傘」に職人の遊び心を見る。
そこには、ただの観光地として眺めるだけでは決して見えてこない、人々の熱い祈りと執念が息づいていました。
あなたも、スマホにAIを忍ばせて、AIトラベルコンパニオンと一緒に旅をしよう!


